
”助け合い”
日本でもよく聞く言葉です。
”互いに力を貸し合う”と言う意味の言葉で、誰もが知っていると思います。
仕事でも、得意な分野を生かし、苦手な分野は他の人に補ってもらう。
それこそがチームワークだ!
と誰もが思いますし、そうあるべきと私も考えています。
しかし、その言葉も吃音者にとっては辛く感じてしまうこともあるのです。
吃音者だからこそ”助け合って”、できることとできないことを理解して働くべきじゃない?
そうなんです!
しかし、それができないという矛盾に陥ってしまうのです。
そもそも助け合いとは、
- 相手に「私は〇〇が苦手です。」と伝え、理解してもらう
- 身体的障害をもっていて、物理的にできないと誰もが分かる
という条件を満たしてはじめて、
「この人は〇〇が苦手だ(できない)から、他の人にしてもらおう(代わりにしてあげよう)」
となるのです。
そこで問題となるのが、まわりの吃音への理解です。
そもそも吃音についての理解がなければ、
「話したくても話すことができない」
ではなく、
「話すことができるが、話したくない」
と捉えられ、
「人と話すことが苦手だから、そう言ってしたくないことから逃げている」
と思われてしまう恐れがあるのです。
なぜなら、
仕事中や日常生活では、吃音者はなるべく症状が出ないように努力しているため、普通に話せているのです。(普通に話せているように見せているのです。)
実際は、発しづらい言葉や発することができない言葉を、違う言葉に置き換えて話しています。
このように、吃音は非常に分かりづらく、理解してもらうのが難しい症状です。
時々、言葉が出てこなくなって(発声ができなくなって)、電話対応が上手にできません。
人前で話す時に、吃音の症状が出て、話せなくなってしまいます。
と相談して、
今まで気づいてあげられなくてごめんね。
仕事の面でもできる限り配慮するから、できることを頑張ってね。
と言ってくれたらどれだけ楽だろうか。どれだけ心が救われるだろうか。
私は今、吃音であることを隠しながら仕事をしています。
ありのままを伝えて理解してくれるのだろうか。どう思われるだろうか。などの不安があり、まだ言えていません。
しかし、このまま隠し続けるのもしんどいし、限界があると思っています。
いつかは。。。と思いつつ、いつ言えるだろうか。と日々悩んでいます。
職場等で吃音であることを伝え理解してもらった例や、嫌な思いをした例など、ぜひコメントで共有していただけると幸いです。
吃音が社会的に理解され、”助け合える”環境が広がっていきますように。